複合姓認められました!

   

Hello!

ERIです!




備忘録として国際結婚した私が複合姓にするまでの話をします。
ネットに載っている情報がかなり少なったので新たに私が情報をネット上に追加することで
誰かの参考になればと思い、ブログを書きます^^

裁判所に行くまで

まず、

ネットで調べて最初に分かった事は

  • 裁判所まで行かないといけないこと
  • 面接があること
  • 複合姓を認めてもらうのは難しいということ

の割に、
最後に思った事は

簡単だったな~

ということでした。
その内容をお話ししますね。



私の主人はちょっと珍しく
セルビア共和国出身なので
ネットで複合姓の事を調べましたが、
その方たちのお相手はアメリカ人やフランス人で日本人にもなじみのある国の名前ばかりでした。



おそらくその方たちとはネットに書いてる情報と違うだろうと思い
裁判所に直接電話し、必要書類を確かめました。

必要書類中は以下だと教えられました。

  • 旦那のパスポート
  • 複合姓にしたい理由を書く書類
  • 印紙

2021年7月に書類を一度大阪家庭裁判所に出しました。

なのですが、返信用封筒や印紙を入れ忘れるという不備と
セルビアで複合性が認められていることが証明できる文書を発行してくださいということで
お電話をいただきました。








その電話をかけてきたのは裁判官とかではもちろんないなく、
裁判所に務めている方だと思うのですが、

複合性というのは難しいから子供ができたとか、
国に帰る家族全員で帰る予定があるとかそういうやむを得ない事情がないと
変更できませんよ

というふうに、
いかにもにも私が書類に書いた理由が足りないという感じで言われました。




その職員の方にそうに言われたところで
最終的判断するのは裁判官だと分かっていたので、私は

あ、そうですか。

という感じで聞いてました(笑)




とりあえずセルビアで複合姓が普通であるということを証明しないといけないので、
旦那にお願いし、セルビアの大使館にその事情を話し法律からの抜粋した文章をもらいました。




それを旦那が英語に訳してて
それをまた私が日本語に訳すという流れをとって
印刷し裁判所に送り返しました。

その後電話がかかってきたのは8月。



その電話で

一度裁判所でお話聞きたいので9月の頭などご予定いかがですか?

と言われ、アポイントを取りました。

裁判所での出来事

裁判所に行くこと自体初めてでした!
谷町4丁目にある大阪家庭裁判所へ自転車で。


入ってみたら荷物検査とかってちょっとびっくり!


封筒に書いてある家事受付係に行くと

上の待合室で声を掛けられるまで待ってもらえますか?

と言われたので上に行き待合室で待ちました。




10分ぐらいして


60代か70代のおばあちゃん(失礼(笑))から声をかけられ部屋に案内されました。




その方は

参与員

と言って裁判官と私の仲介をする方でした。




私と話した内容を参与員の方が裁判官にそれを伝え、
裁判官と一緒に私の氏変更を認めるかどうかを話し合う人だと
説明がありました。

まず


聞かれたのは

もし離婚しても、「後藤」という苗字には戻れませんよ。
戻ることはかなり難しいです。覚悟はいいですか?



というお話でした。




複合性にするということは日本に名前を新しく作るということだそうです。




なので日本人同士が離婚した時のように
「前の名前に戻る」もなにも
新しく作ったので、前の名前がない=離婚しても「後藤」には戻れない、ということでした。

その参与員の方も

結婚したばっかりだしそんなことは今は考えてないだろうけどね~

と笑いながら言っていました。



まあ、だいたい離婚すると思ってたら、わざわざこんなめんどくさい
手続きして複合姓にしようと思わないよね、という感じです(笑)



それでも名前を変えるを覚悟は伝えないといけないので、
彼が日本にきて、一緒に住み始めて、結婚して、
それで将来二人で働けるようにという理由と私の夢もあって
今回、自分の英語教室を開いたことから
名前を変える意思は強く、覚悟はできていると話、納得してくれました。



複合姓とは関係なく、
最初に確認された事がありました。




それは、私の「後藤」の漢字が戸籍には旧字体で書かれていることでした。


旧字体のままでいいのかという確認をされました。




この旧字体がめんどくさくて、
銀行へ行くと必ず旧字体へ書き直させられます。


ですが、



私は個人的には旧字体が好きなので旧字体のままでいくと返事しました。

その確認が終ってからは本格的に氏(うじ)変更の話です。

私たち二人が出会った話、
彼がいつ日本に来てどんなお仕事をしてるか、
など聞かれました。



偶然にも
その参与員の方が10年以上も前にセルビアに行ったそうで
その話で少し盛り上がりました。


↑ここ、めっちゃ大きいポイントやったと思います!
私が複合姓にしたい理由云々より、セルビアという共通点で
参与員の方にかなりいい印象を与えられたかと!

最後に

裁判官にこれだけは言っておきたいことはありますか?

と聞かれ、

自分の日本の苗字をそのまま名乗れたのに何も名乗らないこと、
また夫の名字にまるまる変えれるが
それもせずに複合姓を選んだ理由をもう一度伝えました。

本当は、
最初の最初は複合姓にするつもりなどなく、
カルジェロビッチ瑛里でいこうとおもってたのですが、
旦那が

後藤カルジェロビッチ 瑛里ってかっこいいやん

って言いだし、私も

そうやな~~できるんやったらそうしようかな~

というノリでした(笑)



でも

書類作成していくうちにしっかりとした理由ができてきました。
以下は書類に書いた内容ですが、
一番強く思っている理由は1番です。」

  1. 1カルジェロビッチ 瑛里では外国人というイメージがかなり出来てしまい、まだまだ隠れ差別のある日本では信用を得難いという事実があり、それによって私の仕事に支障が出ること。
  2. 将来子供ができた時にセルビアと日本の親から生まれたことがわかること(これはネットから書いた方がいいと言われて書いたこと)
  3. セルビアでは複合性が日常的に行われていること。
  4. 「カルジェロビッチ」という苗字は日本人にとってかなり長く覚えにくい。
  5. 夫婦別姓であれば病院や何かの手続きで家族だと証明することに時間がかかるため(これもネットに載ってました)

もちろん書類には嘘は書いていません。
少なくとも調べながら、確かに、と思った事ばかりです。

理由の欄は書類を2枚使いました。




ネットで調べると通称として複合性を使っている照明を入れた方がいい
とのことだったので、前の会社に在籍中に給与明細を複合姓の名前で出してもらいました。



ですが、
当日判断の大きな要因にはなっていないと感じました。

面接終了後

こんな感じで面談は終わり、所要時間は多分15分ぐらいだったと思います。


帰る前に参与員の方から

裁判官と協議します。
先ほどの待合室でお待ちください。

と言われ15分ぐらい待っているとまた声をかけられました。

そして、
先ほどと同じ部屋へ戻り協議の結果を聞きました。

裁判官は認めるという判断です。

と言われ私の複合姓が認められました。


私は裁判官との協議には数週間ぐらいか時間がいるのだろうと
思っていたのでそんな早くに結果が出たことにびっくりし、
また結構簡単だったなと思いました。


私の苗字は旧字体なのに書類には新字体で書いてあったので
それの訂正をしたり、印紙を買いに行くために最初に行った家事受付係へ戻り指示を仰ぎました。




まそれから色々あって1時間ぐらい待たされ
書類の不備もないと裁判官に認めてもらい帰宅を許されました。



この日に裁判官から複合姓を認められましたが
今から2週間は誰も異議を言わないかを待ちます。

大体このルールの事を誰も知らないし
誰も意義を申し立てないと思うのですが
とりあえず2週間持たないといけません。




2週間経つと裁判所から「複合性を認めました」という書類が届くので
そこで初めて役所へ行き自分の戸籍の名前を変えます。



結婚してから旦那の苗字にガラッと変えるのは6か月以内だと役所でさらっとできます。
6ヶ月という決まりがあったので複合性にも決まりがあるのかと裁判所に聞いてみたところ、
特に決まりはないとのことでした。


なので私は結婚してちょうど1年後の9月2021年に
複合性が認められることになりました。



今もまだ裁判所からの通知待ちです。
これから公的書類の名前を変えていきますが、
複合姓であるゆえの問題があった場合また追記します。

2021年9月

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