Hello!
ERIです!
今日は私、ERIがどうやって英語にのめりこんでいったかの話をします。
人生のターニングポイントは中学1年生。
それまでもずーーーっと英会話教室に通っていましたが、
特に面白いとは思わず、ただただ通わされていました。
中学になり、バレーボール部にも入ったので長く続けた英会話は辞めることに。
と高を括っていたのですが、英語の担当がずんぐりむっくりのおばちゃんで、
全然英語の発音も良くない、
ザ・ジャパニーズイングリッシュ!!!
到底英語の授業を楽しめるレベルではなく・・・(ごめんなさい)
どうしようかと思っていたところに恩師が配属されてきました!
恩師と出会う
新卒の女性の先生で、とても英語を綺麗に話す方でした。
その先生の英語を聞き、
と思ったのがすべての始まりです。
恩師は、学校の授業で生徒が英語を好きになるように本当にいろんなことをしてくれました。
トップオブザワールドを使って授業をしてくれたり、
友達は当時流行っていたアブリル・ラビーンのスケーターボーイの歌詞にカタカナを振ってもらったり、
私たちがもっと英語に興味を持つように
忙しい中、大変な努力をしてくれたんだと今になって思います。
高校受験
それから中3になり、恩師が私の担任になりました。
すっかり英語が大好きになっていた私は志望校を聞かれた際、
と親や恩師に言いました。
それを聞いた親や周りはびっくり!
なぜなら
平野北中学校から西校へ行った生徒は過去におらず、
私の当時の偏差値は西校の足元にも及ばないものだったからです(笑)
模試判定は最低の
E
もう笑うしかないレベルでした(笑)
ちなみにE判定ってこんな判定↓
散々言われてますね(笑)
ただ、恩師はあきらめず、
と私に提案してくたんです。
その日記が、私の英語力飛躍にとても大きな役割を果たしてくれました!
その日記のおかげで西高校に入学できたと言っても過言ではありません。
最後の高校模試は最高判定の
A
それはそれは嬉しかった!
さっきの判定とは雲泥の差(笑)↓
高校に入学し、大学は留学がしたいという理由で
関西外国語大学を選び、念願のアメリカ留学を果たし、
やっと普通に英語で会話ができるようになりました。
それまで英語を話せなかったわけではないですが、
「普通のスピード」では無理でした。
ざらっと私の英語人生を語りましたが、
恩師と交換した英語日記は私の一生の宝物であり、
今でも大切に保管してあります。
人生振り返り
恩師は今も教師としてご活躍されていて、時たま連絡をとります。
彼女が居なければ西校にも行っていなかったし、
アメリカ留学もしていなかったし、
英語を話せるようにもなっていなかったし、
旦那になる彼と出会う事も一生なかったし、
こうやって今、英語教室を開いてブログを書いてる自分もありませんでした。
今思えば、恩師に出会った瞬間から英語漬けの人生。
本当に感謝してもしきれないぐらい感謝しています。
次は私が誰かの恩師のような存在になれるように頑張りたいです。
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